虫と私 よもやま話 韓昌道② 標本は貴重な「語り部」

「残酷なことをするんですね!それでも虫博士ですか?」
大学院生の頃、昆虫採集をよく一緒にしていた小学生から、このように責められたことがあります。
無理もありません。
子どもたちにとって「昆虫博士」とは、「昆虫を誰よりも大切にしている人」というイメージです。そのため、採集した虫をそのまま酢酸エチルで満たされた毒瓶(殺田管)に入れては採集を続ける私に、驚愕したのでした。
しかし、これは、私の研究の最も大切で基礎的な作業の一つです。もちろん殺して終わりではなく、この工程は、後に綺露な標本を作るためには欠かせないのです。
薬品を用いて殺虫するのは、標本作製までの腐敗を防ぐ大切な処置なのですが、「驚愕の事実」を知った小学生は、それがたとえ昆虫の研究のために大切な工程だと分かっていても、許せない気持ちでいっぱいでした。
この出来事があってからは、幼い子どもに標本のことを聞かれると、「死んでいた虫を拾って標本にしたんだよ」と、年齢にあった説明をするようにしています。
さて、今回は「標本の大切さ」についてのお話しです。

愛媛大学が所蔵する、日本の植民地時代の朝鮮で採集された標本
人類の遺産集め
私が大学院生として所属していた愛媛大学の博物館には、120万点以上の昆虫標本が所蔵されており、その中には今から半世紀以上も前の標本も数多く含まれています。
標本には必ずラベルがあり、そこには採集者名、採集地、日付が記載されています。この情報なくして「標本の価値はない」と言っても過言ではありません。
採集した昆虫にラベルが付いた瞬間、それは私たち人類の遺産が一つ増えた瞬間だと実感しています。その標本からたくさんの新たな知見が生まれ、また有用な情報を得ることができるのです。
たとえば標本を調べてみると、同じ採集地であっても、50年前にはたくさん捕れていた昆虫が、現在ではほとんど見られなくなっていることもあります。その事実から、どうして今では捕れないのかを調べてみると、トンネルやダムの建設、温暖化による植生の変化など、たくさんの理由を推測することができます。またその逆に、これまで採集されていない昆虫類などは外来種と考えられます。
このように標本は、環境の変化による生物への影響や昆虫相の変化を教えてくれる貴重な証拠であり、「語り部」なのです。だから私たちは昆虫を採集しては標本にし、大切に保管するのです。確かに命を犠牲にしますが、より多くの生き物を理解し保護できると信じています。

筆者が朝鮮で採集した昆虫の標本

標本を作製する様子(筆者)
植民地下で採集
大学院時代に、研究室の同僚が私に「古い標本があった」と見せてくれました。
ラベルを見ると、威鏡北道で1934年に採集されたものでした。威鏡北道は、現在の朝鮮民主主義人民共和国の北東部に位置します。
日本による植民地時代に、日本の研究者らが調査隊を組織して、白頭山をはじめ朝鮮のあらゆる場所で採集を行い、多くの標本を持ち帰ったのです。
在日朝鮮人3世として生まれた私は、この決して古いと思えない標本から多くのことを感じました。昆虫の研究をしていても、朝日両国間の歴史の問題から目を背けることはできないのです。
そして、確かなことが一つあります。それは、ピンで固定されたこの昆虫は、問題を解決できません。それができるのは、地球上で唯一「人」だけなのです。
この標本は今も、その時を暗室で静かに待ち続けています。
(朝鮮大学校准教授・昆虫分類学者)(火曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年7月8日付掲載
たとえば標本を調べてみると、同じ採集地であっても、50年前にはたくさん捕れていた昆虫が、現在ではほとんど見られなくなっていることもあります。その事実から、どうして今では捕れないのかを調べてみると、トンネルやダムの建設、温暖化による植生の変化など、たくさんの理由を推測することができます。またその逆に、これまで採集されていない昆虫類などは外来種と考えられます。